2011-08-28
土曜日、恵比寿の写真美術館で「ジョン・レノン、ニューヨーク」を見た。
チャボ(仲井戸麗市)のFCから、この映画のパンフレットにチャボの対談が載っている、という連絡が来て、そのときは、ふぅん、そうなんだー、と思っただけだったが、だんだんと映画が見たくなってしまったのだ。
じゃぁ、3Gのライブの前に見に行こうかなー、と、前日は張り切っていたのだが、当日になったら眠たくて、行くのがとても億劫になってしまった。今日はパス!!
というわけで、結局、渋谷に行くついでがあった土曜日に、足を伸ばしてみることにした。
映画の予備知識はまるでなかった。
映画を見たら、ジョンとヨーコのことも、ほとんど知らなかったことに気がついた。ドキュメンタリーだけれど、ヨーコのナレーションを聞きながら、2人のドラマを見ていた気分だ。
ヨーコを好意的に迎えてくれたロンドンの人々は、彼女がジョン・レノンとつきあい始めてから豹変し、ヨーコは避難の的になったという。
「醜い人を醜いという新聞なんてあるかい? 彼女は全然醜くなんかないけど、ロンドンの新聞はそんなことを書く。信じられない」
そして、2人はニューヨークへ。
「ニューヨークの人はクールでいい。普通に公園を歩けるし、買い物もできる。たまにサインをくれ、と言われるけど、それもまたうれしいよ」
が、ジョンが政治的な活動にかかわり始めたのを機に、アメリカ政府はジョンを国外に退去させようと躍起になる。長い、長い闘いだったらしい。
永住許可はおりないし、ライブレビューも悪くて、ある日、ジョンはやけになってしまって、浮気をしてしまう。
ヨーコに土下座をして謝るが、許してもらえず、ジョンはロサンゼルスに旅立つ。1年間ぐらい別離。
毎晩、酔っ払ったジョンは、どうしたらヨーコの所へ戻れるか、そんなことばかり話す。酔っ払って正体をなくすと、決まって、ヨーコ、ヨーコと呼んだという。
エルトン・ジョンとライブで共演。ヨーコがそこへやってくる。
「困ったことに、まだ彼を愛しているって思ったの」
2人は元の鞘におさまった。
1975年。ジョンと同じ誕生日に、息子のショーンが生まれる。ニクソン大統領は辞任し、アメリカ国外への退去命令は破棄。
ショーンを育てるのに専念するジョン。パンを焼いたりもする。
育児が落ち着いたころ、40歳になったジョンはアルバム「ダブルファンタジー」をリリースする。「僕は30代や40代の同世代の人に歌いかけるんだ」
映画館にパトカーのサイレンが鳴り響く。
ジョン・レノン暗殺。
なんか、リアルタイムで、ジョンとヨーコの物語を見たような感じ。
2時間弱の時間があっという間に過ぎた。。。
セ記事を書く
セコメントをする